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サッカの問いへの答(Dīgha Nikāyaサッカ問答抜粋

(長部 Dīgha Nikāya / Mahāvagga — Sakka の問答とブッダの応答)

サッカの第一の問いとブッダの答え

天界の王サッカ(Sakka)が謁見を得て、まず次のように問った。

「尊師よ。天人(devas)、人間(humans)、阿修羅(asuras)、ナーガ(nāgas)、ガンダッバ(gandhabbas)その他多くの存在は、外敵や不正、争い、苦患のない状態に住し、敵対や争いから自由であろうと望み願っている。しかしそれでもなぜ彼らは敵意や不正、敵、苦悩を体験するのか ― いかにして敵意が襲うのか?」

ブッダは答えられた: 「大王よ、申し上げてもよいか。天人や人間、阿修羅、ナーガ、ガンダッバその他多くの存在は、争い(issi:対抗心けちさ(macchariya:吝嗇 に縛られている。外面的には敵や不正、苦患がないようでも、内的な嫉妬や吝嗇の束縛のために敵意や悩みが起こるのだ。」

サッカはそれを聞いて喜び、言った: 「尊師よ、その予見は真である。それは確かにそうだ。私はその点で疑いが解けました。これ以上その点についての質問はありません。」

根源を問う条件の連鎖(nidāna, samudaya など

サッカはさらに問うた: 「尊師よ、嫉妬(jealousy)と吝嗇(miserliness)の起源(nidāna)、生起の原因(samudaya)、生まれる原因(jāti)、それらの根拠(gocara)は何でしょうか。つまり、『これ(this)があるときにあれが生じ、これがないときにあれは滅する』という『これ』と『あれ』とは何か?」

ブッダは言われた: 「聞きたまえ。嫉妬と吝嗇は、好悪の対象(liked-and-disliked objects)に依存して生じる。好ましく思う・好ましくないと感じる対象こそが、それらの起源であり原因であり生まれであり根拠である。好悪の対象があるときに嫉妬と吝嗇は生じ、無いときはそれらの激情は止む。」

サッカ: 「では、その好悪の対象は何に依存するのか ― その起源・原因・生まれ・根拠は何か?それがあるとき、好悪の対象がある;それが滅するとき、好悪の対象は滅するのか?」

ブッダ: 「それらは**chanda(チャンダ:欲求・志向)**に依存する。チャンダがあるとき、好悪の対象が生じ、チャンダがなければ生じない。」

サッカ: 「では、何がチャンダを生じさせるのか ― チャンダの起源や基盤は何か?」

ブッダ: 「**vitakka(ヴィタッカ:初発の心の向け・思惟の働き)**に依存してチャンダは生じる。ヴィタッカがあるときチャンダが起こり、ヴィタッカが止むとチャンダは止む。」

サッカ: 「では、何がヴィタッカを生じさせるのか?」

ブッダ: 「ヴィタッカは、saññā(想:知覚・記憶・認識 のうち、五つの根深い傾向(pañcadhammika kilesas:長期的な煩悩傾向 を伴う部分に依存して生じる。もしそのsaññāの部分があるならばヴィタッカは生じ、なければヴィタッカは止む。」

実修の指導saññāの停止へ向かう道

サッカは問うた: 「尊師よ、そのpañcadhammika(長期傾向を伴う)心の部分を止滅させるにあたり、比丘はどのような修行を行うべきでしょうか?」

ブッダは応えた: 「喜(somanassasomanassa:歓喜・ラプチャー)、憂(domomanassa:不快・憂鬱)、平静(upekkhā:捨・等持)の根能(faculties)を二面にわたって育てよ ― すなわち、どの歓喜が善性(kusala)を増し不善(akusala)を減じるか、それとも不善を増しかつ善を減じるかを見分けよ。後者のように不善を増す歓喜は避け、前者のように善を増す歓喜は受け入れてよい。第一禅(jhāna)から生まれる歓喜の中にはヴィタッカとヴィチャーラ(vitakka vicāra:初発思惟と審思)が含まれるが、ヴィタッカ・ヴィチャーラを欠く歓喜はより洗練されたものである。憂や平静についても同様に見きわめることだ。このように識別し実践する比丘は、正しい修学を行い、pañcadhammikaを伴うそのsaññāの部分の停止に到ることができる。」

サッカはこれを聞き、疑いが消えたと喜んだ。

布施戒律(Pātimokkha)の遵守と感官の抑制について

サッカはさらに問うた: 「尊師よ、比丘はどのように行動すればパーティモッカ(Pātimokkha:比丘戒の遵守)を守る者と見なされるか?」

ブッダ: 「身体の正しい振る舞い(kāya-sammajjā)、言の正しい振る舞い(vācā-sammajjā)、および営み(pursuits)を見分けよ ― それぞれについて二面にわたり、取るべきものと避けるべきものを識別するのだ。もしある身体・言語・営みが放縦されれば不善が増し善が減る ― そういうものは避けるべきであり、逆に不善を減じ善を増すものは採るべきである。比丘がこの見分けを会得して実行するならば、パーティモッカを守る者と見なされる。」

続けてサッカは、どのように感覚能(indriya)を訓練すべきか問うた。ブッダは答えた: 「眼・声・香・味・触(rūpa, sadda, gandha, rasa, phoṭṭhabba)および心の対象(dhamma)を含む六処(saḷāyatana:眼耳鼻舌身意)に注意を払い、各々について二面的にどのような接触が甘受すべきでありどれが避けるべきかを見分けよ。無分別に感覚接触に耽れば不善が増し善が減る ― そういう接触は避けるべきで、逆に不善を減じ善を増す接触は採るべきである。もしこのように実践すれば、正しい道が見えてくるであろう。」

ブッダの言葉を聞き、サッカはその簡潔な教えの細部まで完全に理解したと述べ、疑いが消えたと告げた。

僧侶間・梵志間の不一致について(見解の差

サッカは問うた: 「尊師よ、すべての行者(ascetics)や梵志(brahmins)が同じ教説を説き、同じ律を守り、同じ欲(chanda)を持ち、同じ最終到達を得るのか?」

ブッダ: 「否、そうではない、大王よ。」

なぜかと問うサッカに、ブッダは答えた: 「人々の執着する要素(dhātu)は同一ではない。人は各々執着するものに従い、それに応じて見解を固める。『これが確固で、あれは不安定だ』と主張するため、すべての行者や梵志が同一の教説や律、欲、到達を共有するとは言えない。」

さらに、すべての行者が完成者(悟りを得た者)かと問われ、ブッダは否と答えられた。煩悩の滅尽によって解放された者だけが真の完成者であり、よってすべての行者が完成者であるわけではないと説明された。サッカはこれも聞いて喜び、疑いが去った。

サッカの以前の師尋ねの経験と歓喜

サッカは述べた: 「渇愛(taṇhā)は病のようであり、腫(boil)や矢のようであって、ひとを破滅させ、再生をもたらす。ブッダはこのことに関して既に私の疑いを取り除いてくれた。」

ブッダは、サッカが以前に他の行者に尋ねたことがあるかを問うと、サッカはあったと応えた。サッカは、森の行者たちを訪ねて歓喜と不快について問うたが、彼らは答えられず、逆に彼が誰かを尋ねたという。サッカが自分を天の王と名乗ると、彼らは何業によってその位になったかを問うた。サッカはそこでブッダの教えを伝え、行者らは喜んで彼を聞き入れ、やがて彼らはサッカに対する信敬の念を抱いたが、実際にサッカ自身は如来(ブッダ)に対する弟子であり、**sotāpanna(斯陀含:流入者/入流者)**であって退転しないことを確信していると告白した。

天界の戦争とダンマを聞くことの果実

サッカは、天と阿修羅との戦いにおける勝利を語り、武力による勝利で歓喜することは不善を伴い、無関心・捨離・涅槃に至らせないと認めた。一方で、ブッダのダンマを聞いて生じる歓びは、離欲・無欲・滅・平静・超世間的知見・覚り・ニッバーナへ導く種の歓喜であると述べた。

サッカは、ダンマを聞いて歓喜することから得られる六つの利益を列挙した:

  • 正念を保てば寿命が延ぶこと(天における利益)。
  • 非人間的天身を去ったとき、無明を離れて望む境界に生まれること。
  • 宗教的に迷いがなくなり、正しく思慮し行為すること。
  • 正しい行いと完全な知見によって覚りが来れば、それが最終到達となること。
  • 人間界に戻って死ねば、再び天に生じ、より高い天位を得る可能性があること。
  • 最終的に上位の尊い天人(anuttara devas)に属することを期待できること。

これら六つの果を見て、サッカは悦びを表した。

サッカの帰結と礼拝

サッカはなおわずかばかりの躊躇が残っていたが、ブッダが疑念の矢を取り去ったことを述べ、拝礼し賞讃して如来を上位の師と称えた。

その時、サッカは五頭のガンダッバ(pañcasiṅgha 等と呼ばれる)を呼び寄せ、彼らへの務めを語り、地を手で打ち三度礼拝の言葉(Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa)を唱えた。

ブッダの簡潔な教えが終わると、サッカにダンマ眼(dhamma-cakkhu:汚れなきダンマの眼)が生じ、何が生ずるべき順序で生ずるかを明瞭に見た。サッカと同様のダンマ眼は他の八万の天人にも生じたという。これによりサッカの問いたかった全てが答えられ、この教説は「サッカ・パンハ(Sakka-pañha:サッカの質問)」として伝えられることとなった。

ご希望であれば、次に行います:

  • この問答を簡潔な講義用スライドにする、
  • 「条件連鎖(chanda→vitakka→saññā→…)」を可視化したフローチャートにする、
  • パーリ原文(ラテン転写)と対訳で並べる、など。どれをご希望ですか?